思えば、 『彼』を本格的に意識し始めたのはこの時だったか。 6校時目の終わった直後、帰宅する生徒でごった返している昇降口で一人立ち尽くしている彼の後ろ姿から目 を離せなくなった理由は未だによくわかっていない。 けれど存在感のいまいち薄い地味な彼がその時はいやに周囲から浮いていて、またその絶望感漂う背中が何と も哀愁を誘ったのは未だによく覚えている。 どしゃぶりの雨の中、生徒たちが彼の脇で次々と傘を開き昇降口から外へ飛び出していく。 彼は傘を忘れたらしかった。 どうするのかな、と思って、暫く自分の下駄箱から下靴を出しながら様子を見ていたが、彼はいっこうに動か なかった。        止むのを待ってるのかな。    でもこの調子じゃまだまだ止まないよねぇ。 彼の隣で傘を開いた。 チラリと横に目を遣る。 学生帽に黒縁眼鏡、紺色のマフラーは口元までぐるぐる巻き。なので、顔がよくわからない。彼はいつもこう だ。 クラスメイトで、彼はいつも教室の後ろの方に一人でいる。名前は確か、 『ナカジくん』。 下の名前は……覚えていない。 地味で目立たなくて、彼が誰かと話している所を誰も見たことがない。彼がどんな声なのかすら知っている生 徒は極少数。色々と謎の多い彼は地味ながらもクラスではちょっとした有名人だ。ただし呼称が『ネクラ』な のであまり良い方向に有名とは言えないのだった。 かく言う私も彼の認識は『ネクラ』の一言である。だって仕様がないじゃない、暗いんだから。 しかしこうして真横に立ってみると彼は背が高い。175は確実にある。下駄で誤魔化しているにしても長身 だ。まぁそんなことはどうでもいい。 隣で彼はじっとしている。じっと雨を見ている。 やはり止むのを待っているのか。しかしこの雨、止むまで随分掛かりそうだ。それまで待つ気なのか。ご苦労 なことですねぇ。 暫く考えて、私は開いた傘を彼の前に差し出した。 「はい」 彼が頓狂な顔をしている。…と思う。如何せん帽子と眼鏡とマフラーで顔がよく見えないのだ。 「傘忘れたんでしょ。貸したげる」 彼がこちらを見た。…と、思う。光の加減で眼鏡のレンズが白くなってその奥の視線がわからない。それでも 首が少しこちらに向いたから、多分、見たんだと思う。 結構な間を置いて、彼がマフラーの奥で答える。 「……別に、いらない」 お、喋った。当たり前か。意外に低い声。男子って感じ。もっとなよっちいのを想像していたから不意をつか れた感じだ。 それよりいらないっていうのはどういうことだろう。折角のご厚意を無碍にする気らしい彼は。私は強引に彼 に傘を押し付けて素早く昇降口から飛び出した。打ち付ける雨粒が冷たい。 振り返って彼に向かって叫ぶ。 「ちゃんと返せよ!」 そのまま真直ぐ前を向いて私は雨の中を全力疾走した。 走りながら鞄の中の折り畳み傘を開き、少し速度を落とす。後ろで彼が私の傘を方手に呆然と突っ立っている のを想像して、私は少し吹き出してしまった。 思えば、 彼を本格的に意識し始めたのはこの時なのだ。 それまで私にとって彼はクラスメイトですらなく、さながら宇宙人や新種の生き物のような未知の存在扱い だった。好奇心と興味が彼に抱いていた感情の全てでありそれ以上もそれ以下もなく深い意味も勿論なかっ た。 けれど私はこの時、彼用の傘を周到に準備して登下校するほど彼に『集中』していたのだ。 それが何を意味するのか未だ私は何もわからない。 けれどこの時この瞬間から私の中の彼の認識が『ネクラ』から『ナカジくん』に変わったのは、 確か、  だと 思うのだ。














<昇降口にて>

結果良ければきっかけなんてどうでもいいんです。
ただそれは結果が良い場合にのみ言えることだという話。
始まる前から終わってる2人ですみません。

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